西村真悟代議士 国政報告会のご案内
西村真悟代議士が国政報告を行います。
新しい内閣が誕生した臨時国会を終えて、国政の総括と展望について、大いに語っていただきます。
国政報告会にはどなたでもご参加いただけますので、ぜひお誘い合わせの上ご来場下さい。
日 時:11月23日(木・祝)午後2時半~4時
会 場:栂文化会館 3階 第一講座室
泉北高速鉄道「栂美木多駅」徒歩1分
堺市南区桃山台2-1-2
℡ 072-296-0015
会 費:会員および関係団体 500円
一般 1,000円
主 催:「真悟の会・堺」
お問い合わせ:℡ 072-230-0707

※臨時総会の進行に応じて、開会が若干遅れる場合もあります。
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河内国民文化研究会主催
第1回 国民文化講座のご案内
宗教心をいかにして育むのかー現代日本の教育に欠けているもの
「教育の再生」に向けての教育基本法改正は、安倍晋政権の最優先課題となっています。
その重要な論点の一つが「宗教心の涵養」です。
今回の講座は、実際の教育現場で宗教教育に取り組んでこられた清風学園の
平岡宏一先生を講師としてお招きし、具体的な実践を踏まえ、
「宗教心の涵養」について存分に語って頂きます。
実施日時:11月25日(土)午後6時30分~8時30分
(午後6時会場 受付開始)
実施会場:八尾プリズムホール5階 レセプションホール
(近鉄大阪線八尾駅 東へ徒歩5分)
講 師:平岡宏一(学校法人清風学園専務理事)
三宅博(八尾市市会議員 河内国民文化研究会会長)
参加費:無料
参加方法:当日直接会場にお越しください。
【講師プロフィール】
平岡宏一先生
大阪府下の学校法人清風学園の専務理事と清風中学校・高等学校副校長を兼務。
学校経営と生徒育成に当たり、仏教を中心とする宗教教育に尽力している。
チベット仏教の研究者としても知られ、インドにあるギュメ密教学問寺への留学経験を持つ。
訳書・著書は「ゲルク派版 チベット死者の書」(学習研究社)など多数。
三宅 博会長
会社経営を経て平成11年統一地方選挙において八尾市会議員に初当選。
以来、一貫して文教産業常任委員会に在籍。 教育正常化に全力を傾注している。
平成12年に全国118名の地方議員で
「北朝鮮に拉致されてた日本人を救出する全国地方議員の会」を結成。
現在、副会長。
また、平成15年からは「特定失踪者問題調査会」理事として470名にも上る
特定失踪者の方々の調査救出活動に従事している。
西村真悟代議士、荒木和博氏、そして三宅博八尾市会議員と拉致最強トリオの一角。
【河内国民文化研究会】
「子ども達に引き継ごう! 美しい日本の伝統文化・地域社会・自然環境」
このスローガンを掲げて八尾市議会議員に当選した三宅博は、
八尾市政や学校教育のゆがみを市議会で鋭く追及するなど、目覚しい議員活動を続けてきました。
このような三宅博の理念と行動に共感する地元市民有志の要望を受け、
「河内国民文化研究会」は創設されました。
わが国の歴史と伝統が示唆する日本のあり方、日本人の生き方を指針として、
政治・経済・教育・文化、あらゆる分野の課題について、研究・議論・提案を行うための研究会です。
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朝から晴天。
土曜日とあって車が混む事なく、仁徳さんには30分前に到着。
雑談をしていると代議士が奥様と共に、犬2匹を連れて登場。
清掃奉仕団は総勢約50名。(内「真悟の会・堺」9名)
代議士の他に、杉本和幸市会議員、水ノ上成彰市会議員そして、
八尾から三宅博八尾市会議員が参加。
清掃に先立ち、代議士、大仲さん、池尻さんが代表参拝を済ます。
例年通り、外堀の東側を清掃。
ボート(池尻さん提供)でお堀、そして土手、遊歩道とそれぞれ別れて清掃開始。
ご陵さんは年毎に綺麗になっているが、水の汚れがひどい。
途中、メンバーの一人が手提げ鞄を引き上げる。
中を見ると通帳や財布、キャシュカードなどが出てくる。
勿論財布の中身は空っぽ。
犯罪絡みであろうか、警察に届ける事に・・・。
代議士によると、お堀には“すっぽん”や外来種の亀が生息するらしい。
しかし、琵琶湖と同じく、ここでも在来種は外来種に押され気味。
“がんばれ、日本。”
清掃後、懇親会の席で池尻秀樹事務局長より挨拶。
“私はご陵さんの点在する中で生まれ育った。
ご陵さんを守る事は私の使命と思う。
子供の頃は蛍が飛び交い、お堀には貝が沢山いた。
しかし、最近、頓にお堀の水質がひどくなっている。
そこで、狭山池→仁徳さん→土居川という「昔の水の流れ」流れを復活させ、
蛍が呼び戻したい。
その「流れ」もコンクリート製ではなく、生態系が壊れない形を提案している”
【写真説明】
お堀に浮かんだゴミの回収作業を行う代議士と当会幹事。
今年も、誰もお堀に落ちることなく無事に終了した。
ま、余興としてちょっとは期待してますが・・・。
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写真は栗林忠道陸軍中将
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%97%E6%9E%97%E5%BF%A0%E9%81%93
【真悟の時事通信 平成18年10月26日】
もうすぐ、アメリカ人が造った硫黄島の戦いの映画が公開される。
そこで、日本人が書いた次の二冊の本は、是非読んでいただきたいと思って
ここにご紹介させていただく。二冊とも硫黄島戦における日本軍の指揮官である
栗林忠道陸軍中将と壮絶な「鬼神もなかしむる」無名の将兵の戦い振りを描いている。
「常に諸子の先頭に在り」(留守晴夫著、慧文社)
「散るぞ悲しき」(梯 久美子著、新潮社)
アメリカ人は、硫黄島の戦いを知っていて決して忘れず、
硫黄島をアメリカの「聖地」、「神聖な土地」と思っている。
だから映画を作った。
しかし、日本人は、硫黄島のことを知らない。
そして、もうすぐアメリカ映画で硫黄島がアメリカの「聖地」であることを知るのであろう。
しかし、これでは日本人にとって何も語られたことにはならない。
硫黄島はランボー映画の活劇とは違う。
何故なら、硫黄島は、アメリカ軍司令官も認めるように、
日本軍将兵が祖国を守るために最後まで戦って、未だ一万三千の遺骨が埋もれる
日本の「聖地」であるからだ。
ジェイムズ・ブラットリーの父親は、硫黄島の擂鉢山に最初の星条旗を掲げた六人の海兵隊員の一人であった。
その父の死後、1998年、彼は母と兄弟達と共に硫黄島を訪れることができた。
何故なら、彼らは硫黄島の英雄の家族だったからだ。
沖縄のアメリカ海兵隊の総司令官は、ブラットリー一家を乗せた専用機を硫黄島に飛ばした。
彼等が硫黄島上空に達したとき、総司令官は専用機を二度島の上空で旋回させた。
そして、ブラットリー一家に、硫黄島は「聖地だ、神聖な土地だ」と言い、
「我々にとっても、日本人にとっても神聖な土地です」と付け加えた。
このジェイムズ・ブラットリーは、2000年5月、父達の硫黄島の戦いを描いた
「硫黄島の星条旗」(原題「The Flags of Our Fathers」)を書き上げ、
直ちにベストセラーになった。そして、この本を原作としてこの度の映画が造られた。
さて、硫黄島の擂鉢山に星条旗を掲げる六人のアメリカ兵の写真は、
「世界で一番美しい戦争写真」とアメリカ人は思っている。
首都ワシントンのポトマック河畔にアメリカの「至上の聖地」であるアーリントン墓地があるが、
この墓地の台地に高さ二十五メートルの巨大なブロンズ像が建っている。
これこそ、「世界で一番美しい戦争写真」を像にしたアメリカで一番有名な記念碑、
アメリカ海兵隊記念碑すなわち「硫黄島記念碑」である。
何故、アメリカは、硫黄島を聖地と呼び未だに忘れないのか。
それは、アメリカ軍事史上、最大の犠牲が硫黄島で生まれたからである。
では、その最大の犠牲をアメリカに強いたものは何か。
それこそ、栗林忠道中将に指揮された日本軍守備隊であった。
栗林中将は、絶望的な物量差のなかで戦闘を継続したが、
それは、アメリカ軍の爆撃から本土を守り祖国と家族の命を守るためであった。
自らの「聖地」を忘れ、また、その地で勇戦奮闘して「聖地」たらしめた英霊を偲び敬意を表せずに
打ち過ぎる民族に未来はない。
我が国の未来を開くためには、この「民族の叙事詩」を回復しなければならない。
硫黄島で戦った父をもつアメリカ人も次のように言っている。
「わたしは、自分の探求の眼目は、この国の思い出の中に再び生かすため、
それらの若者を生きかえらす、いや、生きているように表現することであることを思い出した。
・・・そのようにして、われわれはいつも、大切な死者を生かしつづけるのではないだろうか」
(ジェイムズ・ブラットリー、「硫黄島の星条旗」より)
アメリカ軍の指揮官ホーランド・スミス中将は、
「栗林のような指揮官が日本軍にこれ以上いたらたまらない」と口走り、
「太平洋で戦った全ての敵の中で、栗林は最も手強い相手であった」と回想録に書いた。
しかし、この栗林中将は、アメリカ留学が長かったが故に日本陸軍では親米派として
本流から排除されて、硫黄島に行かされた将軍だった。
さらに、栗林中将は、硫黄島では、従来の陸軍中枢の迎撃思想であった水際撃滅作戦に従わずに
長期持久の戦術を実行しようとしたが故に、それに必要な充分な物資も送られないまま本土から
見捨てられ孤立無縁で戦って硫黄島を「聖地」にしたのである。
何故、東京の軍中枢は、水際迎撃戦に固執し、栗林はそれを排除したのか。
その差は、敵を知るものと知らないものの差である。
すなわち、驚くべきことに、東京はあれほどの大戦争を敢行し、トラック、テニアン、サイパンなどの
要地の日本軍守備隊が水際迎撃作戦をとったために見事に短時間で撃破され消滅しているのに、
アメリカ軍の物量も戦術も知ろうとしなかったのである!
しかし、栗林中将は、敵を知っていた。
そして、敵のスミス中将の最も手強い相手になったのである。
(なお、相手を知ろうとせず、周辺情況を知ろうとせず、ただ国内における今までの思想を
繰返そうとする性向は、現在の政治を見ても健在であることに気付いていただきたい。
例えば、日本人を数百人拉致して核開発を続け、東京を火の海にすると嘯く独裁者が核実験をした。
この事態に対して、我が国は、相手のこの実態に対応した如何なる具体的な対処をするかが
問題となるであろう。
ところが政界では、今まで通り他人事の様に対処をせずにおこうという空気が根強い。
その理屈に、中国やロシアも核実験をしているではないか、
というような相手の実態を全く見ようとしない唖然とする論理がまかり通っている。
栗林中将の時と今が違うのは、「水際撃滅作戦」が「憲法九条」になっただけである。
栗林中将もそうであったが、我が国においては、この国内の「性向」とまず戦わねばならないのだ。
そして、昔も今も、新しい事態に即応しようとする者を排除し、
今までの性向によりかかって太平楽を決め込んで適切な対処を妨害する者は、
結局誰も責任をとらない。)
次に、硫黄島戦の概要と、「常に諸子の先頭にあり」という名著において、
涙なくして読めなかった箇所を二つ記して本稿を締め括りたい。
昭和二十年二月十九日、アメリカ海兵隊三個師団、六万一千人が硫黄島に上陸した。
待ち構えて迎撃する日本軍は二万一千人。
まる三日間にわたる艦砲射撃と航空機による銃爆撃のあとの上陸であった。
この艦砲射撃を見つめていたアメリカ兵は、爆弾が舞い上げた灰で島が見えなくなったので、
島は粉々に吹き飛んでしまうのではないかと疑った。
そして、ある兵は「俺達用の日本兵は残っているのかな」と戦友に尋ねた。
しかし、二万一千の日本兵は、栗林中将の指揮の下、一糸乱れず島の地下深く潜って
この艦砲射撃に耐えていたのである。
アメリカ軍は、五日で島は陥落すると予想したが、戦闘は三月二十六日まで続く。
日本軍死傷二万一千人、アメリカ軍死傷二万八千人。
星条旗を擂鉢山に掲げた六人のうち三名が戦死した。
戦闘の最終段階の情況を、敵将スミスは次のように書いている。
「明らかに栗林が指揮を取っていた。彼の個性は、その強靭な抵抗にはっきりと示されていた。
・・・硫黄島では断崖から飛び降りて自殺する者は一人もいなかった。
・・・栗林は、アメリカ兵を一人残らず道連れにするつもりだった。」
海軍司令部付士官の松本巌は、暗闇の中を連隊の本部壕を目指して歩いているとき、
中隊壕に入った。すると、腕や足をなくした百五十名ほどの兵隊がうずくまっていた。
ある兵隊が、「水を呑ませてくれ、もう四日も何も口に入れていない」と言った。
水筒を渡そうとすると、入り口の近くにいた下士官が叫んだ。
「海軍さん、やめろ」、
「あと二時間もすれば、俺達は皆、火炎放射で焼き殺されてしまうんだ。
死にかかった者に飲ます水があったら、その水をあんたが飲んで戦ってくれ。
あんたは、手も足もまだついている。我々のかたきをとってくれ」。
そう訴える下士官も、左足首を吹き飛ばされていた。
・・・松本は胸が張り裂けそうになったが、
「手も足もついている俺には、これからでも水を探すことができるのだから」と言って水筒を与えて
後ろ髪を引かれる思いで壕外に飛び出して・・・連隊本部に着いた。
程なくして、中隊壕の百五十数名が火炎放射器で全滅させられたという報告が届いた。
最後が迫ったとき、栗林中将らは地下壕で一夜を明かした。
そばに大きな天然壕があって重傷者で充満していた。
・・・軍医が重傷者に安楽死の措置を施していた。
注射を打たれた一人が、
「軍医殿、泣いておられるのですか」と言った。
涙が顔に落ちたらしい。
軍医は答えた。「俺は学校で治すことは教わったが、こんなことは習わなかった。後からすぐ行くよ」。
が、兵隊はもう死んでいた。
我々は、このような硫黄島で戦いぬいた将兵のことを忘れてはならないと思う。
特に、政治家、さらに、内閣総理大臣以下は、片時も無名戦士のことを忘れてはならない。
彼らの想像を絶する苦闘を思えば、この太平の世の如何なる苦難にも泣き言をいうことはできないのだ。
アーリントン墓地の台座に「硫黄島記念碑」を建てているアメリカは、硫黄島を忘れてはいない。
アメリカ大統領の演説においては、正直言って、時として格調の高さを感じさせるものがある。
それは、大統領が、無名戦士と共にあるという意識をもち、彼等と共に歩んでいるからであろう。
(了)
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▼幹事の間で「飲酒運転」の事が話題になった。
この社会風潮下においても、いまだに「飲酒運転」がなくなることはない。
その上、「重ね飲み」「事後出頭」などの摘発逃れの新手の方法を編み出す。
最近、頓に順法精神が希薄となってきた。
法は何の為にあるのか。
法は公平と正義を保つ為にあるはずである。
▼「之を道(みちび)くに政(法律)を以てし、
之を斉(ととの)うるに刑(罰)を以てすれば、
民免れて恥ずることなす。」
「之を道(みちび)くに徳を以ってし、
之を斉(ととの)うるに礼を以てすれば、
恥ずることあって且(か)つ格(いた)る。」
(『論語』)
国民を法律によって行動の基準とさせ、それが守られない時に刑罰で取り締まる。
すると国民は法の抜け道を探し、法に触れさえしなければ何をやってもいいという様になる。
国民の行動の基準を人倫道徳におき、為政者が身をもって指導し、
及ばないものや出すぎたものを礼儀によって教え導くようにする。
そうなると、国民は罪を犯したり人の非難を受けたりするようなことは、
「恥かしい」という気持ちになり、立派な人間になってゆく。
▼国家の土台を支えるのは『教育』である。
タバコを止めても、肺が綺麗になるには、喫煙期間と同じ期間が必要と聞いている。
教育においても、戦後の日教組主導の教育を改めるには、同等の期間が必要である。
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私は「自衛官募集相談員」を委託されており、
防衛庁・自衛隊の広報活動を「民間人」の立場で支援している。
一言で言えば「相談員」とは、自衛隊に関心があり就職希望を持っている若者達に、
アドバイスや自衛隊地域事務所の紹介などを行う地域社会の「世話役」である。
その「相談員」を対象とした「部隊研修会」なるものが年に2~3回行われており、
先日滋賀県大津市の「陸上自衛隊・第2教育団」を見学する「研修会」に参加した。
「教育団」では新米の陸士さん(昔で言う二等兵)を自衛官としての「形」と成るように
教育する機関であり、初等教育終了後は新たな配属先へと巣立って行く。
つまり自衛官の「小学校」であろうか。
私と同じく「相談員」をされている方々の立場も様々である。
子息が自衛官である父兄、地元の世話役名士、地方議会議員等、
その人達の中で私は自衛隊に縁もゆかりもないのだが、
【国防こそ国民の義務であり、国家最大の福祉である。軍人(自衛官)は聖職である。】
と言う考え方を買われた一種の「変り種相談員」、俗に言う【国防オタク】である。
様々な施設を見学して一段落したところ、同行している「男性相談員A氏」が、
側を通りかかった重装備の女性隊員を見て、彼女が携帯している自動小銃を
『持たせて欲しい』と頼み出した。
彼女が躊躇しているのを見て私は『絶対持たしたらアカンで!』と指示してあげた。
彼女は頷いて小銃を持たすことはなかった。『何を考えとるんや!』と言い
その「男性相談員A氏」を軽蔑の眼差しで見詰めると彼は私から遠ざかって行った。
次に「銃器庫」側を通りかかった。その時に地方議員を務める「女性相談員」が歩み出て、
カメラ付きの携帯電話で「銃器庫」の内部をカメラに収めようとした。
さすがに慌てて隊員に止められていたが、『こいつは議員としての資格無しだ!』と呆れてしまった。
自衛隊駐屯地は「軍事施設」である。
当然軍事には「機密」が伴う。この「女性議員」は軍事と言うものに対する認識が全く無い。
「バカ議員」が歩み出る前に『銃器庫は非公開で結構です』
と私は自ら意見具申すべきだったと反省した。
引き続いて隊員から実物同様の模擬小銃(駐屯地祭などで一般展示されているもの)
を手渡されて恐る恐る眺めて見た。
私は兵器・銃器に対しては非常に慎重である。
しかし「男性相談員B氏」が模擬小銃を手にして、銃口を無意識に私の方に向けた。
『何するんや!』と戒めたが、事の重大さを知らずか彼は怪訝な顔をしていた。
私は隊員たちに向って『この相談員たちは銃器に対する認識が無さ過ぎる!』と厳しく申し上げた。
隊員たちは『立派な御意見御指摘を感謝致します!』と私に答えてくれたが
嬉しいともなんとも思わなかった。
そして憤怒の思いで「研修会」を終えた。
貴重な「教育隊研修会」は国防の重要性と兵器・銃器の危険性を学ぶ絶好の機会であったが、
兵器・銃器を「おもちゃ」と勘違いしている「相談員たち」には甚だ呆れてしまった。
普段触ることの出来ない「器」だけに触ってみたいと言う好奇心は理解するが、
兵器・銃器は自分を守るために【他者を殺傷する器】であることも厳粛に考えるべきである。
訓練を受け任務上携帯を許された隊員以外の者は絶対に触れさせてはいけない「器」である。
私は常に「国防」の重要性を訴え、「軍事」の学習にも事欠かすことはない。
身近な自衛官達も私の思いを理解し大変良い信頼関係で結ばれている。
他の「相談員たち」も遊び感覚で自衛隊に接するのでは無く、
「国防政策」「兵器・銃器」「自衛官の心構え」等に深い賢識を得て
それぞれの活動の場で生かして頂きたい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
民間は小火器の扱い方を知らず、
政治屋は核兵器の扱い方を知らない。
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▼過大評価でもなく、礼賛でもなく。
▼金正日(金政権)は遂にと言うか、やはりと言うか核実験を行った。
しかし、核実験は自暴自棄で行ったものではなく、まさしく実験であり、
他国へのメッセージでもある。
そのメッセージの先は『非核三原則』の日本ではなく、
核保有国のアメリカ、中国、ロシアである。
日本の経済制裁は織り込み済みと言うより、勘定にすら入っていない。
金正日は、日本の子供じみた利権屋の政治屋とは違い、
少なくとも10年先、50年先のグラウンドデザインを持ち合わせた「政治家」である。
▼中国は「毛沢東の教え」を守り、核兵器大国にのし上がった。
そして、10年以内にアメリカを凌ぐ「力」を手に入れようとしている。
金正日も「毛沢東の教え」を守った中国を踏襲しようとしている。
彼は手駒を存分に使い念願の核兵器を手に入れた。
その開発資金は「友好国ではなく敵対国」である日本、アメリカ、韓国から分捕ったものである。
▼某氏は「北朝鮮は年内までもたない」とおっしゃるが、果たしてそうか。
金正日、北朝鮮は10数年以内に韓国を呑み込み、
核保有国のアメリカ、中国、ロシアと対等の関係を手に入れる。
それもアメリカや中国と比べるとはるかに少量の核兵器で・・・。
▼核兵器大国と「相互破壊確証」の状態を創出するには、
相手方と同等の核兵器を持つ必要はない。
アメリカなどは北朝鮮の核弾頭が1発でも落ちる可能性があれば、
つまり、20発を発射して1発でも被弾する可能性があれば、
速やかに北朝鮮問題から撤退する。
中国、ロシアも同様である。
金正日は明確で効果的な核戦略を持ち合わせている。
▼日本の媚米、媚中の政治屋達よ
西村真悟代議士の「核武装論」を学べ
そして一刻も早く、実行せよ
早晩、日本は中国、アメリカ、ロシアそして朝鮮の核に取り囲まれ、
東アジアは「火薬庫」ならぬ「核兵器庫」となる。
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【当会幹事投稿 REVIEW】
年 式:平成15年
出版社:展転社
著 者:西村 真悟
小生が『師』と仰ぐ【西村眞悟代議士】は現在非常に厳しい立場におられます。
この書籍にてお書きなっておられる、自伝である『僕の生い立ち』の章
を何度も読み直してみた感じたことは、
「人を疑わない心の温かい『やんちゃ坊主』がそのまま大人になったんだなぁ~」と・・・。
【西村眞悟】とは何者か?
マスコミによって作り上げられた西村代議士についての様々な「誤解」が解ける書籍です。
今後小生も同志たちと共に『日本再生』に邁進させて頂きます。
『復活の日』は必ず訪れます。
西村代議士もその日のために、コツコツと準備されておられます。
同志の皆さん御安心下さい!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そうなんだよな。
マスコミが勝手に代議士を「右翼」「タカ派」に仕立て上げる。
大衆はそれを鵜呑みにして、代議士=危険人物と脊髄反応する。
一度でいいから、一冊でいいから代議士の本を読んでもらいたい。
そして、自分の頭で代議士を評価してもらいたい。
思考を他人任せにするのは 終わりにしたい。
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▼前回の【当会幹事投稿REVIEW】の『家路』。
外を見ると真っ赤な夕焼け。
傍らの新聞に目をやると・・・。
▼授業が終わった後も子どもを預かる「放課後教室」が、
来年から日本全国の公立小学校で実施される。
退職した元教員や地域のボランティア、教員を目指す大学生らが子どもたちの面倒を見る。
家庭の育児に対する負担を軽減し、放課後の子どもたちを
社会のあらゆる危険から守ることが主な目的だが、
学習塾に行けない低所得層の子どもに補習の機会を与え、
また退職した元教員に仕事の機会を与えるといった目的もある。
日本で今社会問題になっている少子・高齢化、所得の二極化、
子どもを対象にした犯罪の増加などに対する総合的な対策といえる。
▼日本政府はこの「放課後教室」の来年度の事業費として1000億円を計上した。
「放課後教室」には、授業の予習・復習、野球・サッカーなどのスポーツ
、美術・折り紙などの文化活動をはじめ、
地域の高齢者との世代間交流、お手玉・めんこなどの伝統的な遊びなども含まれる。
時間は午後5時から6時ごろまでで、夫婦共働きの家庭の子どもなど、
それ以後の時間帯にも両親が子どもの面倒を見られない場合には、
時間の延長も可能となっている。
「放課後教室」は、1992年に大阪で始まったのを皮切りに、
地方自治体単位で実施されているが、全国的に実施されるのは初めてだ。
▼「放課後教室」は一方で何を意味するか。
「子供を社会の宝物。だから家庭ではなく地域の皆で育てる」。
それは子供を家族から切り離し、「育児放棄」や「家庭崩壊」を助長するに過ぎない。
その様は、まるで共産主義かカルト教団である。
社会の基本ルールや躾を覚えさせるのは「社会の責任」ではなく、
先ず「家庭の責任」である。
育児の責任を誰も負うことなく、子供がますます、家庭から遠ざかる。
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平成18年10月8日 街頭活動募金額
3,245円になりました。
今回は募金より、署名をたくさんいただいたようで、
一時、署名台前には行列ができました。
以前、ブログに書きましたが、
世間一般では、拉致救出活動を行っている人間は「特殊な人間」と
見られがちです。
そこで、「拉致救出活動」をより一般化するため、
「街頭ミニ写真展」などを開催していますが、
それより以前から「拉致風船」を配っています。
風船は人の心を和ませ、より「拉致問題」を広く世間に浸透させる為に
役立ってくれていると思います。
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▼昨日、協力団体として当会の幹事が「救う会・奈良」の集会に参加した。
「救う会・奈良」の代表者は先日、ブログに掲載した「吉水神社」の宮司さんである。
この宮司さん只者ではない。
グラウンドゼロへ祈祷を挙げるためにニューヨークに行ったり、
「24時間100㌔ 走破」の会を主宰されておられる。
詳しくは
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/39859165.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/39127984.html
▼さて、「救う会・奈良」のスタッフは殆どが、サラリーマン。
当会においてもそうであるが、この種の団体は経済的理由により、
選任の事務員を置いているところは稀である。
スタッフも我われと同様、各人の時間の調整を行い、仕事の合間を縫って、打ち合わせ等を行う。
本来、この仕事は誰がすべきか?
勿論国家である。
国民の財産と生命を守るのは国家の義務である。
▼さて、「救う会奈良大会」
当初、スタッフは会場が一杯になるか不安顔で一杯であった。
会場の収容人数は300名。
ところが、開会15分前には会場がほぼ一杯。
始まる頃には、椅子が足りず、受付や控え室の椅子を総動員して会場に搬入した。
それでも足りず、立ち見が出たほどである。
スタッフが“これならもっと大きな会場にしたらよかった”と安堵の顔。
そこへ“北朝鮮核実験を強行”の一報。
各登壇者の弁により一層、熱が入る。
▼余禄1
当日、隣の会場で全県「九条の会」が開催されていた。
その会場は2階の奥にある為、参加者は「救う会奈良大会」の受付を通過しなければならなかった。
どう言った訳か、彼らは一様に肩をすぼめ、うつむいて受付前を通り過ぎていった。
自分たちの主張が正しいと思えば、正面を見据え、堂々と歩くべきである。
頑張れ!「九条の会」
▼余禄2
受付に立っていると読売新聞の記者がインタビューにやって来た。
開口一番“今回の大会は北朝鮮の核実験に合わせて開催したのですか?”
“すいません。私は「真悟の会・堺」の者で、北朝鮮関係者ではないので、それは無理と違いますか”
記者は“そうですね。”
マスコミも今回の核実験には相当、慌てているようである。
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「真悟の会・堺」幹事会議事録
平成18年10月8日
議案①青旗新聞について 方向性、対象を明確にしていく。
会報としての機能と広報としての機能を別に作成。
議案②10月8日(日)街頭活動の反省
議案③その他
○10月9日(日)、拉致被害者救出奈良集会について
○10月28日(土)、仁徳御陵奉賛会清掃奉仕について
○10月29日(日)、『親の会』講演会
○当会会則の変更について
○幹事長人事について
※次回幹事会 11月 4日(土)15:00~16:00 街頭活動
17:00~19:00 幹 事 会
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「~北朝鮮に拉致された日本人の一刻も早い救出を~ 第一回 奈良大会」
日 時:平成18年10月9日(祝)
午後1時30分(開場)
午後2時00分(開会)
場 所:奈良県文化会館 小ホール (近鉄奈良駅より東に徒歩3分)
登壇者:増元 照明さん
有本 明弘さん 嘉代子さん
西村真悟代議士(拉致議連幹事長)
西岡力副会長(救う会全国協議会常任副会長)
荒木和博代表、三宅博理事(特定失踪者問題調査会代表)
費 用:入場無料
主 催:救う会奈良
・一部 被害者家族及び支援者の講演会
・二部 被害者家族と講師を交えたシンポジウム
※尚、前日の10月8日(日)に近鉄奈良駅前噴水広場にて、
大会の宣伝を兼ねて署名活動を実施。
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先日、「救う会・家族会」へ送付させて頂きましたが、
そのお礼状が郵送されてきましたので、ご報告させて頂きます。
報告が遅れました事を、お詫び申し上げます。
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【当会幹事投稿REVIEW】
年式:1998
配給:ユニバーサルクラシック
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団,
作曲:ドヴォルザーク
指揮:カラヤン(ヘルベルト・フォン)
曲名:スメタナ
この曲を聴くと「決意新たに頑張るぞ!」と云う気持ちになること間違いなしです。
『新世界から』と云う『副題』が付けられていますが、
不思議と【新世界へ!】と熱い気持ちが沸き起こって来ます。
この曲から感じる小生の『心境』を表現致しますと、
第一楽章は「激闘」
第二楽章は「慕情」
第三楽章は「葛藤」
第四楽章は「飛翔」
特に『家路』として有名な第二楽章を耳にしますと
「日が暮れるから早よ帰ろ~」と云う気持ちになりますね。
正に『帰宅メロディー』の王様。
ちなみにアニメ映画『わが青春のアルカディア』の劇場版予告編に、
この曲の寂の部分が効果的に使われていました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そうです。
夕方、5時ごろになると、近くの学校からこの「家路」が流れてきます。
条件反射のように、遠くの西の空に映える「夕焼け」に目を向けてしまいます。
帰る家がある。
学校でいやな事があっても、「おかえり」と言って迎えてくれる家族がいる。
友達と喧嘩をしても無条件で温かく守ってくれる家族がいる。
そんな事を連想します。
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▼最近、知人のメルマガで、≪民主党・沖縄ビジョン≫の存在を知った。
WEB上で検索してみると、かなりの数がヒット。
知らなかったのは自分だけかと思い、民主党員に聞いてみたところ、
「沖縄ビジョン? 何、それ。」と反対に聞かれてしまった。
と言うことは、世間一般にはあまり知られていない事になる。
中身を見ると、「自主・独立」「一国二制度」「東アジア」「歴史」「自然」の文字が躍っている。
その分析はネット上で解析され尽くされている。
≪民主党 沖縄ビジョン≫
http://www.dpj.or.jp/seisaku/kan0312/kouan/image/BOX_KOA0022.pdf
▼沖縄が語られる時、「青い海 そこに住む人懐っこい穏やかな人々」というイメージが使われる。
その一方、
「大東亜戦争で唯一地上戦が行われ、非戦闘員が多数、死傷した。」、
「沖縄の人々は争いを好まないのに戦争に無理に引き込まれた悲劇の島」
「沖縄は捨て石であった」等々の、
“沖縄は不幸を一手に引き受けた”かのようなイメージもマスコミが意図的に垂れ流す。
しかし、先の戦争で被害を被ったのは、沖縄だけでない。
「東京大空襲」、「大阪大空襲」で20万以上、「広島、長崎の原爆」により30万以上の尊い犠牲を出し、
北海道においても地上戦がソ連との間で行われた。
その犠牲者の大多数は非戦闘員であった。
当時の沖縄の人々は、家族をそして、祖国を守るために戦い、散った。
今日の日本があるのは、そういた方々のお陰である。
▼そして現在の沖縄を見れば、
その経済は3K(観光、国庫補助金、基地)により成り立っている。
そのうち、国庫補助金と基地は密接な関係にある。
それから言えば、沖縄における政治屋の仕事は
『「大東亜戦争の被害者」と「基地」というカードを存分に使い、
如何に政府から膨大な補助金を分捕るか』である。
内閣府は平成19年度予算における沖縄関連の概算要求の内容を
「自民党沖縄振興委員会」に提示した。
総額は3214億6400万円(今年度予算に比較して18・2%増)。
政府は一体幾らの補助金を沖縄に出し続けるつもりか、
一体幾ら補助金を出し続ければ沖縄経済は立ち直るのか。
▼沖縄の実情を伝えるサイトがある。
恵隆之介氏のサイト http://www.cosmos.ne.jp/~ryunosuk/
その中から抜粋
日本人は「島国根性」を持っているとよく言われているが、
その「島国根性」のあらゆる欠点が沖縄において顕著に見られる。
彼らは視野が狭く閉鎖的で、本土に対し「ひがんだ想い」を持っている。
おまけに、金に困ると基地問題を取り上げ、自ら働くことなく、政府から金を引き出すことだけを考える。
今日の沖縄経済の困窮はひとえに「他者依存」の自立心に欠ける県民性の結果である。
しかし、政府も、まるで中国へのODAのように、沖縄に無秩序に補助金を垂れ流し、
「沖縄問題」への真剣な対応を回避してきたのだ。
政府は、沖縄を甘やかし、それを助長してきたにすぎない。
▼沖縄は麻疹が未だに治っていない「左翼」「サヨク」「市民」(not citizen)と
政治屋のごった煮状態で、うまい具合に煮立っている。
しかし、誰も箸をつけない。
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▼堺に住んでいると「住所」を伝えるのに苦労する事がある。
例えば南区役所の住所は『桃山台1丁1番1号』。
“1丁目”ではなく“1丁”。
相手に何度も「丁目」ではなく「丁」と伝えても、結局、「丁目」となる。
そんなに拘ることはないと思うが、「名」は大事である。
行政は時として利便性の為に平然と「町名変更」を行う。
以前、大阪市内に住む知人の住所が「久左衛門町」から「西心斎橋」に変わった時、
彼が市役所職員に久左衛門町の由来を滔々と述べた事があった。
▼以下は 堺市ホームページより、その理由を転載・抜粋したものである。
理由をはっきり示す資料はありませんが、堺の町名に丁目の「目」がつかないのは、
江戸時代の「元和の町割り」にそのルーツがあると考えられています。
【元和元年(1615年)元和の町割り】
大阪夏の陣で全焼した堺は、徳川家康により、南北の「大道筋」、東西の「大小路通」を基軸として、
碁盤の目の形に町割りされ、整然とした町に生まれ変わりました。
この時、町の数は、400近くにも及びました。
【明治5年(1872年)町名の整理】
雑多な町名を整理する為、町名を大道筋に面している町名(例えば大町)に変更し、
大道筋の東側は大町東1丁、東2丁、西側は、大町西1丁、西2丁と変えました。
例えば、「南材木丁」は、「大町西1丁」に変わりました。
▼「丁目」は一つの町を細分化するために使います。
しかし、「大町西一丁」は一つの町と同格であるため、「丁目」ではなく「丁」を使ったものと思われます。
(1町、2町とも呼ばれていました)
堺市では、平成17年2月に編入した美原区域を除いて、
泉北ニュータウンのような新しい町も「丁」を使っていますが、現代にも踏襲されて来たわけです。
ちなみに、昭和の初めに、「目」をつけるかどうかで市議会で論議されたことがありますが、
やはり由緒のある「丁」に統一しようということになった経過もあります。
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