【そして北畠親房公墳墓へ。
前の軽四はここら一帯の草刈りをしている老夫婦の車。
車中で食事中。】

【参加全員で参拝の後、辺りを散策。】

【墳墓の右側は崖で、下を見ると立派な茅葺のお屋敷。
前に川があり、こいのぼりが泳いでいた。
このお屋敷は親房公がおられた「皇居跡」】

【墳墓の左手に「皇居跡ノ碑】

【そして隣には五条高校分校の跡地の碑。
代議士が見下ろしている辺りに分校があったが、今は更地。
しかし、一帯を見ていただくと山また山。
どうやって通学していたのか・・。】

【先程の崖下にある賀名生皇居跡地。
門屋前には立派なしだれ桜。
因みに代議士が左手に持っているのが「野蒜(のびる)」。
古代から食べられていた野草で、 胃腸を丈夫にし体を温める効果があると言われている。
味噌との相性が良いが、代議士は生のままかじっていた。
私も大漁だったので、残りは庭に植えた。】

【そして天誅組本陣跡に到着。
周りの柵は鹿除け。
近所の方が「鹿が多くて困る、おいしいけど・・・。さっきまで2、3頭、うろついていた。」
と仰っていた。
写っているロープはワイヤー入り】

【この辺りは大塔(おおとう)村時代に整備されたもの。
大塔村は平成の大合併で五條市に編入された。(平成17年)
先程の地元の方が言うには“五條市に合併されてから、この辺りの整備事業は全てストップした。
村の時代の方が良かった”と話されていた。】

【公園内にある歌碑。
これは今回もご案内いただいた杉本御所市議の好きな歌。
杉本議員の国を憂う気持ちを表しているのか。】

【本陣跡から少し下ったところに天誅組が二日間隠れ住んだ民家。
現在は廃墟。
杉本議員から「限界集落です」と説明を受けた。】

【もう少し下ったところにある元村長宅。
趣がある立派な家だが、よく見ると壁が黒く塗られている。
奈良には壁が黒く塗られている家が多い。
理由をご存知の方は教えていただきたい。】

今回で天誅組の軌跡を訪ねる旅は終わる。
杉本御所市議には毎回毎回大変お世話になった。
改めてお礼を申し上げる。
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東吉野村 天誅組 最終回
今回も杉本御所市議のご案内で天誅組本陣跡などを訪ねた。
移動手段は車。しかし、当時は徒歩のみ。
いかに当時の人間の足腰が強靭であったかよく分かる。
そして日清、日露、大東亜戦争においてもその足腰の強さが歩兵の強さに結び付いたのではないか。
代議士よりの伝聞
「大東亜戦争で徴兵された(確か)瓦職人が“こんな楽な仕事をするだけで飯を腹いっぱい食えるなんて、軍隊ほど楽なところはない”と話していた」。
また参加者曰く「こんな山中まで逃げる方も逃げるほうだけど、追っかける方も追っかける方」
確かに。
おまけに戦闘までするのだから現代人は歯が立たないだろうな・・・。
【集合場所は楠正成公誕生地。
途中で寄ったのが、「祈りの滝」】

【堺から水を汲みに来る方がおられた。
飲食店や喫茶店をしている方も汲みに来れれるが、水は一か月腐ることはないらしい。
右手では野菜の無人販売コーナーもあった。】

【泉北ニュータウンからもご夫婦で水を汲みこられていたが、
お供で一緒に来た犬。
おいしそうに水を飲んでいたが、この毛の長さでは夏は暑かろう】

【次に寄ったのが葛木坐火雷神社
http://www.eonet.ne.jp/~fuefukijinja/
御祭神は火雷大神 天香山命 御創建は神代とも神武天皇とも伝えられる】

【鳥居をくぐり、拝殿へ】

【まず目に飛び込んできたのが大砲。
この大砲は日露戦争の戦利品。
どの戦いに使われたかは不明。】


【そして高天原へ。
この日は快晴で、ハイキング客の車で神社の駐車場は満杯。
右手に写っている車は仕方なくか境内に駐車していた。
ナンバーを見ると「和泉」。やっぱ「和泉ナンバー」】

【狛犬さんに新しい前掛け。
ちょっとかわいいので記念に】

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下記にて第7回西村真悟勉強会を開催します。
下記の通り、今回は代議士の所用の関係で午前中の開催となります。
定員は約50名ですが、事務所の収容能力を超えた段階で締切とさせていただきますので、
お早めにお申し込みをお願いします。

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西村真悟 論文紹介
掲載雑誌:月刊日本 5号 p.116~119
発行所:株式会社K&Kプレス
コラム名:歴史に学ぶ(四十六)
馬鹿な大将、敵より怖い
この国民の困窮状況を見て見ぬ振りをして、
外国にいる外国人の子供にも手当をばらまくというのか。
まさに、「馬鹿な大将、敵より怖い」と言うとおりである。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽

≪論文抜粋≫
では既に、我が国に政府はないとして、我が国は現在何で保たれているのか。
この答こそ、日本という国家の根本的な特色、即ち、国家再興の方向を示すものである。
まず。
天皇がおられるからこの国難に遭遇しても我が国は安泰なのだ。
天皇皇后両陛下は、現在、皇居の電源を自主的に停止されて、暖房も明かりもない生活をされている。即ち、天皇皇后両陛下は、被災地の国民と苦難をともにされている。
日露戦争中の明治天皇は、兵と同じ食事をされ皇居の暖房を許されなかった。
お体を気遣う側近に、天皇は「兵は極寒の満州で戦っている」と言われた。
さらに遥か遡り、今上陛下の自主停電のご措置は、仁徳天皇が民の竈から煙が昇るまで、
衣服も新調されずに破れるに任せ、宮殿も修理せず雨漏るままにされた仁政の故事と同じである。
そして、このようなありがたい万世一系百二十五代の天皇とともにあった我が国民は、今
被災地に於いて、非常時にあっても人間の尊厳を失わず秩序を保ち助け合いながら、
悲しみと不自由さに耐えている。この我が国民の様は、世界が驚嘆するところである。
阪神淡路大震災の時もそうであったが、苦難のなかで見える「天皇」と「天皇とともにある国民」こそ
、この国難が知らせてくれる我が国に生まれたありがたさであり、我が国家の再興の原点である。
天変地異がこの原点に戻れと告げている。
これが天意である。
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西村真悟 論文紹介
掲載雑誌:正論 6月号 p.62~73
発行所:産経新聞社
コラム名:「震災後」を生きる
士は己を知る者のために死す
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽

≪論文抜粋≫
しかし、東北は腐敗と享楽のるつぼと化した街ソドムとゴムラではない。
東北は土と海に生きる素朴で質素な人々を中心とする地域である。
東日本のおびただしい被災者そして無辜の犠牲者を視よ。
彼らは享楽に生きたのではなく勤勉に生きたのであり、
悲しみの底にあっても世界が驚愕するほどの秩序を保ち、
お互いを思いやること助け合うことの大切さを忘れてはいない。
被災地には、家族や同僚を救うために身を犠牲にした無数の人々の献身的な話が満ちている。
これは、享楽の果てに神に絶望された滅亡の民の姿では断じてない。
・東日本大震災を日本国家再興の契機とせよ
・中国に配慮して台湾の救援隊を断った菅内閣
・国家の再興の基盤は天皇と国民の絆である・平沼赳夫氏を首班に救国内閣を樹立せよ
・日露戦争の旅順攻略を思い出せ
近い将来、この福島原発鎮圧に関して、万策尽きるとするならば、政治は、
万策尽きたあとの最後の一手として、危険な放射能のなかに突入する決死隊を
募る決断をすべき局面に立たされる。
不幸にして訪れるかも知れないその時のためにも、国家のために英雄を死地に赴かせるに値する
保守救国統一内閣を樹立しなければならない。
「士は己を知る者の為に死す」からである。
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