【台北のホテルのロビーにあった「日本へのメッセージ」】
この日、会場で初老の台湾人から
“あなたたち日本人は本当に幸せです。
一つの言語、民族。 そして60年間の平和な世の中
あなたたちは日本人に生まれたことに感謝しなさい”
と言われた。固まってしまった。
【第一日目の舞台設営
舞台の機材は全て、現地調達。
演台の微妙な高さは四朗若師匠しか分からないので、自ら設営を行う。
三宅先生は、日本語と英語と台湾語でホテルスタッフに指示を出す。】
【出番前の松浦四朗若師匠と虹知美曲士】
【世界最大の義援金を頂いた台湾の方への謝辞と「忠臣蔵」の解説を行う西村真悟団長】
【第一日目は「忠臣蔵、赤穂城明け渡し、矢頭右衛門七忠誠録」
戦前の台湾の国民学校では、月に一度か二度、浪花節を聴く授業があったようだ。
台北で待ちかまえておられた帝国陸軍航空隊出身の蔡焜燦先生が言っておられた。
また、当日お越しいただいた方も、蔡焜燦先生が呼びかけていただいた。】
【公演の後の懇親会。
文字通り、「食べる」「飲む」「歌う」のエンドレスの大宴会】
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まず初めに、黄昭堂先生のご冥福をお祈り申し上げます。
【黄昭堂・台湾独立建國連盟主席
平成23年11月10日 台北にて】
【西村真悟時事通信より抜粋】
七日夜、四国の奥深い山の中にいるとき、台湾独立建国連盟主席の
黄昭堂さんが亡くなったという知らせを受けた。
黄昭堂さんとは、十日の晩、台北で共に松浦四郎若さんの浪曲、「忠臣蔵、赤穂城明け渡し、
矢頭右衛門七忠誠録」を聴き、その後、同じテーブルで夕食を共にして歓談したばかりだった。
黄昭堂さんは、十日の晩、次のようなことを語ってくれた。
「さっき、東京から台北に戻ったところだ。東京の六本木にイルミネイションが点いた、
明日は表参道に点くだろう。日本が明るくなってくれなければ、台湾は困る。
六十五年経った今、日本は敗戦のトラウマから抜け出して欲しい。」
「この頃、目がかすんで見えにくくなってよく躓く、台北の空港を出るとき、躓いた。
すると、係員が此方へと私を呼ぶ、一瞬、また捕まるのかと思ったが、
私をいたわって案内してくれるのだと分かった。台湾も良い国になったなー、と思った」
そして、食事を終えて散会するとき、「今度は東京で会いましょう」と言って別れた。
享年七十九歳だった。
【西村真悟時事通信より】
東日本大震災に対し、台湾から世界最大の支援が我が国に寄せられた。
その支援に対して、ある台湾の人に「ありがとうございます」と感謝すると、
彼は、「台湾人は、日本人を同胞と思っているのです」と答えてくれた。
それなら、同じ同胞として、義理と人情の浪花節、を台湾で楽しんでもらおう、
戦後日本人は変わってしまったように見えますが、浪花節の義理と人情では、
日本人は戦前から何も変わっていませんよ、と台湾の浪花節の会を企画した次第。
おそらく、戦後、台湾で生の浪花節を演じるのは初めてだと思う。
【二日目早朝、芝山公園内にある六氏先生の墓に参る。
一度破壊されたが、再建された。
台湾滞在4日間の内、3日間は雨。
お墓は滞在しているホテルより車で15分。
この階段は120段あり、朝飯前の運動にしてはきつかった。】
六氏先生の墓:http://www.a-eda.net/asia/6teacher.html
【李登輝閣下の生家を訪ねる。
生家前には記念館があるが、その中庭に据えられた十二干支のオブジェ。
その下の写真は桃園空港にあったオブジェ
どちらも作りが南国らしい。】
【李登輝閣下の生家前にて。
時折、吹き荒れる風雨のため、思い通りの写真が撮れず。
集合写真も傘に隠れて大失敗。】
【生家横にあった売店で「まこも」(?)を食する。
「まこも」は炒め物などに使うが生でもOKという事らしい。
味と触感はは筍と芋の中間ぐらい
ガイドさんによるとここら辺りの「まこも」が一番おいしいらしい。】
【ご存知の方も多いと思うが、九份は「千と千尋の神隠し」の街並みのモデルとなったところ。
元々、山間の金の採掘場で、日本の建築様式が残る。
山間らしく雨の日が多く、当日はご覧のとおり霧に似た雨が始終降っていた。】
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西村真悟 論文紹介
掲載雑誌:月刊日本 11号 p.120~123
発行所:株式会社K&Kプレス
コラム名:歴史に学ぶ(五十二)
憲法前文の毒に気付け!
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【論文抜粋】
次に、靖国神社に祀られる英霊に直面しよう。
例年八月になれば、マスコミは戦争の特集を流し、十五日には日本武道館で
戦没者追悼式典が開かれる。
そこで為される総理大臣の発言内容はマスコミの報道姿勢と相まって、
平和な今の時代とは異なる戦争の時代に犠牲になった気の毒な人たちへの
同情と追悼である。
果たして、これで良いのか。
戦前と戦後を別の日本と考えているから、総理大臣は、他人行儀の心の籠らない
「同情と追悼」しか言えないのだ。これでは、何も言わない方がましだ。
三月十一日の東日本大西洋側では、消防隊員そして警察官が水門を閉めに行き、
また行方不明者を探しに行き、津波に呑まれ殉職している。
そして、たまたま横にいるお年寄りを救おうとして津波に呑まれた方々もいる。
南三陸町の若き女性職員は、最後の最後まで防災無線で人々に避難を呼びかけて
津波に呑まれた。
このような尊い命に代えて献身を実践した人々が単なる同情すべき
気の毒な犠牲者ではないように、靖国神社の英霊も単なる犠牲者扱いでは無礼ではないか。
今こそ、戦前と戦後を連続して考えて、時ある時に顕れるわが民族の献身の特性を讃え、
我が国の何時の時代においても顕れてきた献身の中で亡くなった人々に感謝しなければならない。
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国際市場内の魚売り場
写真を撮っていると店主が“写真ばかりとらないで、買って!”と怒鳴られてしまった。
右端に写っているのが「グルクン」という魚。
刺身にしてネギを巻いてポン酢でいただく。
「1階の市場で食材を買い、2階で調理してもらう」方式
ただし、割高らしい。
ま、食材を自分で選べる楽しみがあり、観光客向けか
市場内の雰囲気が台湾と鶴橋を合わせた感じ。
大阪の人間しか分からんだろうが。
海上自衛隊航空基地隊
「今回の東北大地震では自衛隊は一人一人の国民を救助した。
しかし、戦争となれば一人一人の国民をボディガードのように守ることはない。
我々の役目は国を守ることであり、それが国民を守ることに繋がる。
沖縄戦において海軍司令壕にやってきた住民を追い返したのは正解である。」
もし、住民を海軍壕に入れれば住民が戦闘に巻き込まれまた、住民へのケアーで
十分な戦闘ができない。
それさえも、日本軍は住民を守らなかったとやり玉にあげる。
戦闘が始まると、住民は山中の洞穴に身を隠したが、赤ん坊が泣けば米軍に居場所を知られるため、
中に入れてもらえなかった。 それをさして、「人間とは信じられない」とどこかの案内に書いてあった。
しかし、問題は丸腰の住民や赤ちゃんを殺戮しようとする米軍である。
航空自衛隊那覇基地第83航空隊を訪問し、基地内の慰霊碑に深く敬礼し、
七月五日に、戦闘訓練のためにF15戦闘機を操縦して那覇基地の滑走路から離陸し、
そのまま消息を絶った川久保祐二少佐の霊を弔った。
この綺麗な芝生の丘の中腹にある慰霊碑には、航空隊の川久保さんを含む
七名の殉職者が祀られているという。
川久保祐二さん(享年三七歳)は、航空学生からパイロトになった人である。
航空学生は、中卒もしくは高卒で航空自衛隊や海上自衛隊のパイロットになろうとする若者を
パイロットに育てる教育組織である。
川久保さんは、高校を卒業して航空学生になり、F15戦闘機搭乗員(パイロット)として
日々緊張を増す東シナ海の空を守っていた。
彼は、高校在学中に空軍のパイロットになろうと心に決めたのだろう。
そして、志を果たし、その任務を遂行中に散華された。
まことに、痛惜の念に堪えない。我が国家も、F15戦闘機パイロットという宝を失ったのである。
沖縄に唯一残る基地内の帝国海軍の大砲に案内された。
その大砲は、赤く錆びているが今なお六十六年前に敵が上陸してきた西の海を
約三十度の仰角で睨んでいた。
十五センチカノン砲であった。敵の駆逐艦一隻を沈めたとの説明を受けた。
その時、午後四時、滑走路からグァーというとてつもないエンジン音が起こった。
仲間に、「あれ、F15の音や」と言って振り返ると二機のF15が発進していった。
仮想敵国機が、我が国の領空に接近してきたのだ。スクランブル発進である。
川久保祐二さんを失った仲間が、今も黙々と任務に就いている。
沖縄県民は、戦ったのである。
この平成二十三年三月十一日に巨大津波に襲われた東日本の人々が、その惨害に対して、天皇陛下の言われるとおり「雄々しく」挫けなかったように、
昭和二十年三月から、アメリカ軍の巨大な空爆と砲撃に襲われた沖縄県民も、それに雄々しく立ち向かい挫けなかった。
沖縄に行く前に、沖縄戦を復習し概観し直した。その上で、確信を持ったことは、
沖縄は「日本の聖地」だということであった。
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この日の前日、カダフィ大佐がなくなった。
「琉球新報」は一地方紙。
それから言えば、第三次嘉手納訴訟の意見陳述の方が大事なのであろう。
琉球新報と並ぶシェアを誇る地方紙「沖縄タイムス」
沖縄県では、全国紙の多くが本土との同時発行を行っていないことから、
2紙を合わせて県内でのシェアは99%近くを占め、地元紙でほぼ寡占状態となっている。
トップ記事はほぼ1年365日、基地問題。
この2紙を読んでいると「朝日新聞」が右翼新聞に見えてくるらしい。
ビザの緩和でホテルのロビーにたむろする中国人観光客。
あまりのうるささに隣の人の声が聞こえない。
中国人が去った後の静かなこと、静かなこと。
大阪のおばちゃんが100人位集まった感じ。
普天間基地視察のため、嘉数高地へ
かなりの階段数で一気に登ると息が切れる。
高地より普天間基地を望む
展望台にマリーンの新兵が多数。
案内役は戦闘の模様をアメリカンフットボールの陣地取りになぞらえて説明していた。
我々が帰るときにはまだ、説明が延々と続いており、新兵さん達は食傷気味。
高地にある壕
よく見ると周りの岩に無数の穴が開いている。
銃弾の跡ではなく、これらの岩は石灰岩。
ここら一帯が石灰岩でできている。
沖縄陸軍病院 南風原壕群20号
周りの壁が黒ずんでいる。
米軍の火炎放射器の跡だそうだ。
案内をしていただいた島袋さんに“病院の壕と分かっていて攻撃したんですか”と尋ねると
、「例え赤十字のマークがあっても米軍はお構いなしに攻撃していた。
米軍がサイパンで行った残虐行為から見れば、当たり前」
登録有形文化財の「真壁チナー」(沖縄の古い民家)
ここにも銃弾の跡があった。 しかし、米軍は・・・。
屋根の上を見ていただくと黒い雲。
沖縄では突然、晴天に黒い雲が湧き上がり土砂降りとなる。
ひめゆりの塔の駐車場にあったマスコット
ちょい不気味。
日本には栄光の内に死ぬことを知った心を持つ乙女たちが1,000名もいた。
このことは我々も子供から大人まで知っていなければならない。
軍属の准看護婦として軍務に就いた高等女学校の彼女たちは、戦局悪化のため、
軍から離れるように指示があったにも関わらず、動けなくなった兵隊の傍を去ることを
拒否してなくなっている。
沖縄県民とは、戦わざるを得ない戦いを主体的に受けて立ち、
栄光の内に死を選んだ人たちなのである。
大江健三郎や日教組のように単なる戦争の犠牲者と位置付けるのは、
その崇高な精神に対する冒涜に他ならない。
「ひめゆりの塔」前の電柱に貼られたビラ
まだ新しかった。
修学旅行の反戦教育御一行様。
噴水の真ん中の三角錐の意味をガイドさんは説明していたが、
あほらしいので忘れた。
沖縄本島南端の摩文仁の丘に沖縄戦の全戦没者の名を都道府県別に刻んだ碑がある。
第83航空隊を訪れる前に、この碑の横を歩いていた。
すると、愛媛県出身戦没者の名が刻まれた碑の前に来た。
その時、深く礼をして敬礼した。
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那覇空港に降り立ち周りを見渡すと、大阪とあまり違わない風景が広がっていた。
この頃は全国どこのロードサイドも同じような風景が並んでおり、
沖縄も同じと感じた。
しかし、空港から離れ、幹線道路一本を中に入ると風景は「沖縄」
沖縄の建物の屋根は陸屋根が大半。
理由は雨水用のタンクを載せるためらしい。
何やら風景が日本ではなく台湾に似ている。
沖縄から大阪まで1時間50分、沖縄から台湾まで1時間。
(時差は1時間)
沖縄料理はおまりおいしくないという前評判だったが、さに非ず。
昼食の豚足定食のスープが絶品。
上に載っている緑の葉っぱは「よもぎ」
聞けば豚の成育条件として平均気温が22度が最適で、
沖縄はそれに当てはまるらしい。
地酒よろしく地泡盛が食堂のウインドウを飾る。
旧日本海軍司令部壕前の慰霊碑
碑の裏側には太田中将の墓があり、新しい菊が手向けられている。
海軍壕公園ビジターセンター
自衛隊の練習生も多数来館。
壕の中を説明して頂いた元海軍予科練の老兵。
以前、戦艦大和の乗組員の方の話を聞いたが、異口同音に「海軍はスマート、陸軍は・・・」
と言う話が出てくる。
中は結構蒸し暑く、戦いにおいても湿気でかなり消耗したと思う。
ま、メガネは曇りはしなかったが・・・。
このセンターの売店には様々な写真集がおいてる。
その中身は戦闘の過酷な様子と米軍が子供にガムを与える写真が並載されており、
「日本軍に苦しめられた住民」を「米軍」が解放したという構図になっている。
全く・・・。
沖縄戦で集団自決があったことは事実である。
その理由は「軍命」などでは決してなく、むしろ軍は自決を止めようとしていた。
それは多くの証言から決着がついている。
それでは集団自決の理由は何か。
理由の一つに、サイパン戦の悲惨さが沖縄に伝わったからである。
サイパン島では日本軍の軍人・軍属 約43,000が戦死、在留邦人約12,000が犠牲になった。
その内の6割が沖縄県民であった。
『我ら降伏せず―サイパン玉砕戦の狂気と真実』より抜粋
「サイパンの島民は米軍によって女性を裸にしてトラックに押し込められ運ばれていった。
彼女たちは“殺して”と泣いて言った。しかし、運ばれて行って二度と帰ってこなかった。
婦女子が連れ去られた後、こんどは滑走路の方から子供や老人の悲鳴があがった。
しばらくしてガソリンがまかれ、火がつけられた。飛び出してくる老人や子供たち。
その悲鳴・・・。
『米軍は虐待しません。命が大切です。早く出てきなさい』
あの投降勧告は一体、なんだったのか。
火から逃れようとする子供や老人を周辺にいる米兵は、ゲラゲラ笑いながら火の中へ突き返す。
死に物狂いで飛び出してくる子供を、足で蹴り飛ばしたり、銃で突き飛ばしたりして、
火の海へ投げ込んでいる。
二人の兵隊が滑走路のすぐ横の草むらに置き去られて泣いている赤ん坊を見つけ出し、
両足をもって真二つに引き裂いて火の中へ投げ込んだ。“ギャー!”という悲鳴。
人間がまるでカエルのように股さきにされ殺されていく・・・。
彼らはそれをやっては大声で笑った。
無気味に笑う彼らの得意げな顔が、鬼人の形相に見えた」
これが人間の所業だろうか。
以上、引用終わり。
初めて大西洋を単独飛行を成し遂げたアメリカの英雄・リンドバーグは、
これらの現場を見て“ヨーロッパではナチスがやっていることを、
アジアではアメリカがやっている”と書いた。
当時の日本人はそれを知っていた。
自決した住民は屈辱の生を生きるよりも、栄光の死を選んだ人たち、つまり英霊なのである。
渡嘉敷、座間味で起きた集団自決は、村民たちが米軍によってもたらされる恥辱より、
名誉ある自決を選んだ崇高なる行動だったのは明白である。
決して、日米両軍の戦闘に巻き込まれた悲惨な被害者などではない。
大日本帝国陸海軍の将兵は懸命に戦って死んだ。
同じように、沖縄県民も沖縄戦を戦って死んだのだ。
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西村真悟 時局講演会
(日本が拉致問題を解決できない本当の理由)
中止 のお知らせ
時下ますますご清祥の段、お喜び申し上げます。
平素は西村真悟に格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。
さて、来る11月26日(土)、ソフィア・堺におきまして開催を予定しておりました
「西村真悟時局講演会(日本が拉致問題を解決できない本当の理由)」ですが、
開催日が大阪府知事選挙期間中に重なるため、
当局より公職選挙法第201条9項(都道府県知事又は市長の選挙における政治活動の規制)に
抵触するおそれがあるとの指摘を受けました。
主催者と致しましてはこの指摘を受けた以上、甚だ遺憾ではありますが、
今回の時局講演会を中止させていただくことと決定いたしました。
支援者並びに関係者の皆様には多大なるご迷惑をおかけいたしますが、
何卒ご理解・ご了解の程、宜しくお願い申し上げます。
以上
追伸:振り替え開催につきましては、決定次第お知らせいたします。
「真悟の会・堺」 TEL:072-277-4140
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沖縄でOFFICE-OSHIRO HIROSHI様 主催の講演会があった。
題名は「第二回 21世紀を担う、沖縄の若者たちへ」
場所は沖縄県立博物館・美術館(3階講堂)
内容については「西村真悟時事通信」を参照していただきたい。
【会場の県立博物館
大阪のワンレンの某建築家が広めたコンクリートの打ちっぱなし。
外観はまるで要塞のよう】
【講演を行う西村真悟】
長くなるが、大田実海軍中将が自決直前に発信した海軍次官宛の電報の現代語訳を載せる。
ここには日本国民ならば完全に記憶しておくべき沖縄戦の真実が凝縮されている。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
沖縄県民の実状に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、
県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕
はないと思われる。
県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状を
このまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急に
お知らせ申し上げる。
沖縄本島に敵が攻撃をして以降、陸海軍は防衛戦に専念し、
県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。
にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず
防衛のための招集に進んで応募した。
残された老人・子供・女性は頼る者がなくなったため自分達だけで、
しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまって
ただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の
狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝されながら
窮乏した生活に甘んじ続けている。
しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、
砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。
どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女性は敵の領土に連れ去られて
毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、
娘を軍営の門のところに捨てる親もある。
看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした
頼れる者のない重傷者の看護を続けている。
その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。
さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ
移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず
雨の中を歩いて移動している。
つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に駐在して以来、終始一貫して
勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、
(一部に悪評がないわけではないが、)
ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸にいただきつつ、
遂に・・・(判読不能)与えることがないまま、
沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの
焦土と化そうとしている。
食料はもう6月一杯しかもたない状況であるという。
沖縄県民はこのように戦い抜いた。
県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。
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